当学園は自閉症児と健常児を同じ施設で教育するユニークな学園である。学園の歴史は1964年の幼稚園開園に始まる。もともと健常児のみを対象として開設された幼稚園だが、開園時に自閉症児5名の応募がありそれを受け入れたことがきっかけとなり、健常児と自閉症児が同じ園舎で学ぶという「混合教育」が始まった。その後、小学校、中学校、高等専修学校を次々と開校したが、各校ともこの「混合教育」の仕組みを採用した。
かつてハーバード大学教授ジェローム・ケーガン博士が学園の小学校視察のために来校し、教育活動をつぶさに観察した。そして特に自閉症児教育に深い関心を持ち、帰国後その教育実態をアメリカの障碍児教育関係者に紹介した。これがきっかけとなって、当時の学園長に関係団体から講演の要請が相次ぎ、学園長は全米各地で講演を行った。その講演を通じ学園の存在とその教育の実態を知ったアメリカの自閉症児を持つ保護者達から、同種の学校をアメリカに開校してほしいとの強い要望が寄せられた。学園はその要請を受けボストンに姉妹校ボストン東スクールを開校した。同校は寄宿制で自閉症児を教育しており、現在約150人の自閉症児・生徒を教育している。ボストン東スクールは後に全米優秀私立学校としてそのユニークな教育活動が表彰された。
またさらに学園は、学園に在籍しない外部の自閉症児のための教育機関として、武蔵野東教育センターを併設した。現在これらの教育機関全体として約2000名の児童生徒を教育しているが、うち約1000名が主として自閉症児・生徒である。
当学園の行う自閉症児教育はわが国では、研究者のみならず、文部科学省、厚生労働省、東京都が強い関心を示し、当学園に対し様々な支援の手を差し伸べている。同時に、当学園の自閉症児教育は世界的にも高い評価を得ており、世界中から多くの人々が学園の見学に訪れている。
ここでは当学園の自閉症児教育についてその特徴を紹介する。
当学園の自閉症児教育の方法は他の一般的な障害児教育の手法とは大きく異なる。当学園の自閉症児教育には五本の柱がある
自閉症児に共通してみられる特徴に、特に幼少期、親を含み他者とコミュニケーションに興味を示さないことが挙げられる。特定の物事に強くこだわり、関心のないことには一切見向きもしないのである。その結果幼少時には、親が排泄、食事、着替え、就寝などの基本的生活習慣を身につけさせようとしてもしつけを受け付けず、健常児には見られない独特の行動に走るため、その行動を見た一般人から重い障害を持つ子と認識されることが多い。
加えて健常児であれば親のしつけと、家族の行動を模倣することで生活習慣を身に着け成長してゆくものだが、幼少期の自閉症児にはこのような健常児と同様の成長過程がほとんど見られない。
本学園の創立者は50年以上前、こうした特徴を持つ自閉症児に対する「社会自立」に向けた教育法として、「生活療法」と名付けた手法を開発した。
この手法は「体力づくり」「心づくり」「知的開発」の3つを重要な柱として指導を行うものである。「体力づくり」では運動で体力を発散させることで生活リズムを整えさせる。すると、情緒が安定し、集中力や忍耐力も身につく。そして「心づくり」の根幹となる聞き分けが培われると周囲に関心が向き、協調性と自発性が育まれる。この段階に至ると彼らに対する「知的開発」の指導が可能となり、教師の指導を受けて知的能力が引きだされ、教科学習の指導も可能となるのである。
また障害児教育は一般的に対象児童の「できないところ」を抽出し、それを集中的に訓練して矯正するという手法が一般的で、自閉症児教育に関しても同じような傾向がみられる。
これに対し生活療法では自閉症児の行動を統合的に観察して、「できること」を見出してそれを伸ばすことに重点に置き、「できないこと」に対しては、時間をかけ繰り返し指導を行う。言うなれば「矯正」ではなく日常生活にさしたる支障がなくなるように「習慣づけ」をするのである。
他者とのコミュニケーションに興味を示さず躾さえ受け付けない自閉症児であっても、親や指導者の絶え間ない働きかけ、家族との日常的交流、そしてゆっくりではあるが知的な成長により、「できること」が少しずつ増え、徐々に自信がついて周囲に目を向けるようになる。そしてなにがしかの課題は残るとしても、時間をかけて習慣づけすることで、社会生活に適合できるまでに成長する例も少なからずある。つまり「生活療法」は自閉症児に過度なストレスをかけがちな「できないこと」への矯正的訓練ではなく、子どもの全体像をとらえ、時間をかけ「できること」を少しずつ増やし達成感を育てる手法である。
本学園はこの手法をもとに、今日まで創意工夫を重ねてより効果的な自閉症児教育の手法の開発を続けている。
自閉症児教育ではマンツーマン指導が主体で、一人の指導者(大人)が隔離された環境下で、一人の自閉症児(子ども)と相対して教育指導を施すことが通常である。だが自閉症児に共通する最大の課題はコミュニケーション障害の除去であり、閉鎖的空間の中で、教師が一方的に指導するのみでは自閉症児がバランスよくコミュニケーション力を身につけることは期待薄である。これに対し当学園の自閉症児教育の中核をなすものは「集団教育」である。
当学園の幼稚園では入園したその年から、10名弱ほどの自閉症児のみのクラスを編成して指導を行う。しかし当初は子どもたちのほとんどが指導者の存在に関心を持たず、当然指導者の言葉掛けにも反応しない。このままでは彼らの「教育指導」は成り立たない。
だが同じような特徴を持つ子どもたちのクラスという集団の中にいることで、子どもたちの不安は和らいでゆき、また少数ながら教師の語りかけに反応する子どもも出てくる。教師はこうした子どもを見つけ出し巧みな語り掛けをして、その反応をより大きくするように仕向ける。
すると他の自閉症児の中に、教師の語り掛けに反応している級友に興味を持つ子どもが出てくる。そうした子どもが増えるにつれ、クラス全体の子どもが同じ行動を示すようになる。そして彼らは次第に級友と教師とやり取りに関心を移してゆき、教師の語り掛けに直接反応する子どもも出てくる。これがクラス内に連鎖反応を起こし、入園後数か月のうちにほとんどの自閉症児が教師の語り掛けに反応するようになり、ここに至って「教室の授業」が成立するのである。
一般に「子どもの最良の教師は子ども」と言われる。子どもは大人からの刺激よりも自分と同年代の子どもからの刺激、つまり友だちの言動のまねをしながら成長してゆくものである。これはコミュニケーションに問題を抱える自閉症児も同じであり、自閉症児もまた安心できる環境の中で徐々に級友の言動に関心を抱き始め、他者とのコミュニケーションに興味を持つようになってゆくのである。つまりクラスの中に、「個人が集団に影響を与え、集団が個人に影響を与える」、いわゆるgroup dynamicsが働くのである。
「集団教育」は他者の存在に興味を持たず、さらにコミュニケーションに問題を抱える自閉症児の教育の入り口として極めて重要なのである。
当学園は集団教育の発展形として、混合教育を行っている。学園には自閉症児一人につき二名の割合で健常児が常時在籍しており、両者は同じ建物の中で学校生活をしている。一般の教科学習こそ別々のクラスで学んでいるが、両者の教室がサンドイッチ状に配置されているため、休み時間には両者が廊下に出て入り混じり関わり合う。また一緒に昼食をとる、両者が一緒になって団体競技を行うなど、交流を促進する機会を意識的に作り出している。またその能力や特徴に応じて健常児のクラスで学ばせる自閉症児、特定の教科のみ健常児と一緒に学習する子どももいる。それぞれの子どもの状態に応じて、柔軟にかつ適切な環境を提供できるのは、当学園の自閉症児教育の最大の特徴でもある。
健常児の活発な動きや級友との会話に常に接している自閉症児たちは、同年代の健常児の言動に興味を持ち始め、また健常児から受ける刺激が他者の存在に関心を持つきっかけとなるのである。
ちなみに自閉症児たちは共通して素直で、嘘をつくとか他人を攻撃することがない。そのため健常児たちが自閉症児をいじめるとか差別することなく、自然に彼らに近づき良い友だちになろうとする。そして自閉症児たちは健常児からの刺激を受けて成長する。両者間に葛藤が起こることはない。
集団教育と混合教育は共に自閉症児たちが友だちの存在に興味を持ち、人とのコミュニケーションに目覚めるきっかけをつくりさす手段であり、彼らが教師の指導を受け入れ、学び、成長してゆく基礎を作るのである。
当学園には毎年混合教育を実施するために必要な数の健常児が入学してくる。ありがたいことに混合教育とは何か、わが子にどんな教育効果を与えてくれるかを深く理解する親たちが少なからずいるのである。当学園は創設間もなくから多くの自閉症児を受け入れてきたが、このような理解ある保護者のおかげで、自閉症児にも健常児にも良い教育効果を上げることができているのである。
インクルーシブ教育そしてその先にある誰もが共生できる社会形成の重要性は国連の場でも議論されているところである。さらに政府は今日インクルーシブブ教育を公立学校に導入することの重要性を強調している。このような環境の中で混合教育は独特のものでも特別なものでもなく、近い将来ごく自然な教育手法だと人々が認識することを願っている。
ちなみに国際パラリンピック委員会は、「I’m POSSIBLE Paralympic education program」と名付けた運動を推進しているが、2020年6月、当学園の混合教育の存在を知った同団体の委員長パーソンズ氏から、以下のメッセージが送られてきた。(抄訳)
“貴校の活動がこれからも続けられ、若い世代がその刺激を受け、共生社会の実現に向けて躍動することを期待しています。パラスポーツを通して健常者と障害者が共存する社会を作る私たちの運動に対し大きな貢献をしていただいていることにあらためて感謝します。“
当学園の自閉症児教育の目標は彼らが「社会自立できる力を養う」ことにある。学園は幼、小、中,高を通じ、身辺自立力習得から始まり、買い物、炊事、掃除、洗濯などの家庭生活での自立行動を指導し、身だしなみ、挨拶、電話、公共の場でのルールを身に着けさせるなど、社会の一員として受け入れられるよう社会適合教育を行う。
そしてこれをもとに自閉症児教育の最終目標である「社会自立」の達成に向け、就労に関わる知識の習得、実務体験などの職業教育を行う。
ところで自閉症児の中には視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚と言った五感の一部が鋭敏(過敏)であるため、外部からの刺激に対し異常反応を起こしパニックを起こす子どもがしばしば見られる。ところが一方でこれらの感覚過敏が、健常者には見られない特異な才能あるいは能力につながる例が少なからず観察される。
例えば鋭敏な視覚を持つ子どもがフォトグラフィックメモリーとか、優れた色彩感覚を持っているとか、聴覚過敏の子どもが生まれついて絶対音感を持ち、長じて音楽方面に優れた才能を発揮するなどはその代表的例である。このような才能あるいは能力は、それらに適した職業に就けば有能な職業人になる可能性がある。当学園ではこのような特異な自閉症児に対しては、それぞれの特性に適した職業教育を施し、彼らの社会自立を助ける教育に注力している。
だがこれら特異な能力を発揮する自閉症児を含め、自閉症児のコミュニケーションに関わる問題は、多かれ少なかれ生涯消えない。それでも上記のような社会適合教育、社会自立教育を経ることで、社会に出てから周囲の人々から差別の目で見られることが少なくなり、ほとんどの自閉症児は就労を果たし、就労後も職場の仲間に受け入れられ、職業人としても自立できるようになる。
自閉症児の社会自立を目的とする学園の自閉症児教育のもう一つの特徴は、家庭と学校の緊密な連携である。
自閉症児の社会自立教育の場は「学園」と「家庭」の二つがある。幼少時の身辺自立教育は学園内の教育以上に、親の粘り強い指導が大切である。しかしほとんどの親は初めて自閉症児と接するため、その方法を知らない。そこで担任教師は対象児の家庭での振舞いを聞き取り、経験にもとづく知見を駆使して、個々の自閉症児の特性に適した家庭での指導方法をアドバイスする。
自閉症児教育では家庭の日常生活が大切な自立教育の場となる。就寝、睡眠、起床、排せつ、食事、生活リズムを身に着ける場は家庭にしかない。さらにある程度成長すると、着替え、身だしなみ、炊事、針仕事、刃物使い、洗濯、掃除、買い物、交通機関利用、情報機器の利用など、いずれを取っても彼らの将来の社会自立に必要なスキルを身につける教育が必要となる。これらをしっかり身に着ける場としても、学校でよりはるかに長時間をかけ、緻密に個別指導ができる家庭の方が適している。
一方学校には「集団教育」という自閉症児たちが共通して持つコミュニケーション問題の解決に大きな役割を果たす教育の場があり、また経験を積んだ教師が持つ彼らに適した指導の「技術」がある。
つまり、家庭の場が適切で学校生活では求めにくいものと、学校の場が適切で家庭生活では求めにくいものとが、表裏をなしているのが自閉症児の社会自立教育の特徴である。従い、家庭の場での教育者である親と、学校の場の教育者である教師とが緊密に連携し合うことが大切なのである。この連携において、親に必要な情報はわが子の学校での様子であり、教師に必要なものは指導する児童生徒の家庭での様子である。
自閉症児の親たちはわが子の送り迎えをはじめとして学園行事参加など、教師たちとの接点が多く、親と教師が相互に情報交換する機会が頻繁にある。自閉症児を挟んで親と教師の対話(情報交換)は自然と活発になる。
こうした日常的な交流に加え学園は保護者研修会を定例的に開催し、教師の話以外にも専門家の講話、学園を卒業した自閉症児の親の子育て体験談そして今のわが子の様子を語るなどにより、親たちを元気づけている。
当学園の自閉症児教育環境の大きな特徴にこのような保護者と教師の深い連携活動があるのである。
「自閉症児のコミュニケーションに関わる言動の特異性は生涯消えない」。
当学園はこの現実を直視し、教育目標を彼らの障害(と一般に考えられている特異性)を矯正することでも、健常児と同等の知的、対人関係形成能力を育成することでもなく、障害(特異性)を持ちながらも社会に受け入れられる大人を作り出すために考えられるあらゆる手段を尽くしている。学園は自閉症児を障害児というより、特異な個性を持つ子どもとして接しているのである。
そして当学園の自閉症児教育は、完ぺきとは言えないまでも、これまでその目標を毎年ほぼ達成してきた。