校長の独り言【79】 



 いろいろと感じるところがあり、前回、前々回と続けて「日本人のこころ」、情・人情について校長の独り言を書きました。ふと思い「義理と人情」をネットで調べてみたところ、次の文章を見つけました。
 『義理・人情は日本社会の構造や日本人の心情の秘密を解く一つの鍵であるが、その正体は案外わかっていない。「義理と人情の板ばさみ」と「義理人情を解する」とでは、義理と人情の関係は全く違う。このような相矛盾した事実を把握する方法は何か。』
 『「義理と人情」 は現在、ダメな考え、否定するべき思想であると言う大勢の中に埋没しています。「義理と人情」 は日本民族だけが長い伝統の中で培われて来た自己犠牲を育んだ人間愛の精神だと私は理解し、人間の人格形成上に大切な理念が包含されているものと思います。現在の国内世情では、人心が乱れ、冷酷無残な現象が、社会構造の全てに於いて現出している時こそ 「義理と人情」 を、個々の人間同志の 「人倫の教え」 として、各界各層の指導し得る人々は大いにその効用を教えるべきです。』
 さらに、自分の回り、つまり、本校、教育の場で「義理と人情」にかかわることが何があるかを考えてみました。直ぐ思ったのは、私学故に本校への入学です。15歳の進路先は東京都内に公私立の高校、高専、高等専修学校、その他を含めると約900校ある中で、本校を進路先として選び入学してくれたことに対して、子どもたちの将来のために、我々教師が出来る限りの教育、支援を行うことが正しくこれに当たると思いました。
 さらに、教育、支援の具体的なものの中に、障害のある生徒の進路指導も正にこれに当たると思います。福祉作業所や企業への就職に関して、本校の進路指導部の先生方の一生懸命さと相手方との正に「義理と人情」の世界であると思っています。その背景には、卒業後のフォロー指導だけでなく、その企業の売り上げの向上のために、商品を購入したり、また、就職先によってはパーティーの予約を入れたりと、懸命な努力を行っているということです。
 「義理と人情」に似た言葉に、日本には、「持ちつ持たれつ」があり、アメリカには「give and take」がありますが、ちょっと利益追求の臭いがしてビジネス的に感じるところがあります。つまり、「義理と人情」とは、そこに個人の利益を度外視した、こころ、つまり、「日本人のこころ」がなくてはならないものであるような気がしました。


校長  情報ID 17027 番  掲載日時 01/23/2007 Tue, 11:51