校長の独り言【329】 



 先週、1年生は、生活面、学習面を中心に、2.3年生は、主に進路に関することを中心に、全クラス一斉に三者面談を実施しました。学校と家庭との有意義な情報交換と、情報の共有、更には今後の方向性の確認が十分に図られたと思っています。
 三者面談と並行して、進路指導部と部長の先生方は、都内の中学校を訪問して、本校の教育への理解の促進と、第4回となります「こころの作文コンクール」の応募を呼びかけてきました。
 こころの作文コンクールでは、特別支援教育の推進が叫ばれている中、本校が実践している混合教育、こころの教育の啓蒙を図り、一番の願いを実現したいと思っています。それは、様々な個性を持った人たちが、安心して暮らせる「まち」の実現です。
 よく、「町」や電車・バスの中で、障害のある人が突然大きな声を発したり、強いこだわりを示している場面に遭遇することがあります。今の私であれば驚くこともなく、その人を理解することができます。 しかし、子どもの頃の私を振り返ってみると、一歩後ずさりし、奇異の視線を送っていたことを思い出します。
 私の幼児期から始まった学校教育の場に、いかに障害のある人を理解する教育設定がなされていなかったかを痛感させられます。 確かに、現在の学校教育の場において障害のある人を理解する環境は、私の幼児期と比較すれば幾分増えている感はありますが、決して十分とは言えません。 また、武蔵野東学園の教員ということで障害のある生徒を引率して色々な所へ行く機会があります。 海外に修学旅行に行った時に、ある生徒が問題行動を起こしたことがありました。その時に、日本人とアメリカ人の捉え方の違いを強く感じたことがあります。 日本人であれば、決して全ての人ではありませんが、私の子どもの頃と同じように奇異の目で見ている人が多いように思えます。逆にアメリカ人には、奇異の視線を送る人はほとんどいなかったように感じました。これは、ただ単に国民性の違いだけではないと思います。
 「町」の中には、健康な人、障害のある人、背の高い人、小柄な人等様々な個性を持つ人が共存しています。だから、様々な個性を持つ人が互いに互いを理解し合うことが、みんなが安心して暮らせる「まち」にするために最も必要なことなのです。
 学校教育の中で、多感な中学校時代に、障害のある人のことを考えることが、みんなが安心して暮らせる「まち」に近づける最良の方法と考えます。たくさんの「町」の学校で実施されることにより、ある程度の時間は必要となりますが、幼児期からの積み上げ教育の成果がその国民性に必ずや変化をもたらし、みんなが安心して暮らせる「まち」となることを信じ、願っています。
 中学生の皆さん、応募期間は、平成23年7月20日(水)~9月30日(金)※当日消印有効 です。詳しくは、本校のWEBページで確認してください。多くの応募を待っています。
 みんなで実現しましょう、『みんなが安心して暮らせる「まち」に』

校長  情報ID 43239 番  掲載日時 07/04/2011 Mon, 10:13