武蔵野東学園広報 第23号 【オンライン版
平成18年(2006年)12月26日発行

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    ごあいさつ

事務長 鈴木 克己  

目  次

 P.2 幼稚園
 P.3 小学校
 P.4  中学校
 P.5  高等専修学校
 P.6  学園総合
 P.7 学園総合(2)
 P.8 募集関係のお知らせ

    『東だより』 バックナンバー

 このたび事務長職を拝命いたしました鈴木克己です。10月17日に前事務長・常務理事の横山芳夫先生がお亡くなりになられたことから、11月1日付にて発令を受け、同月18日の理事会・評議員会において承認されました。どうぞよろしくお願いいたします。
 私は昭和58年3月に慶應義塾大学院を修了し本学園に就職いたしました。かねてより教育職を志望していた私はその前年の秋に学園見学の機会を得ました。長内博雄先生(現教育センター所長)に案内していただいた学園は子ども達の活気に満ち溢れ、私はぜひこの一員に加えていただきたいと希望しました。
採用試験の第2次試験では実際の教室に入って1日を過ごしました。その後の面談の中で、北原キヨ先生が「どうだった?」と端的に問われたのに対して、観察される立場とばかり単純に思い込んで過ごしていた私が戸惑っていると、キヨ先生は「学園(うち)で一生がんばれると思った?」と言葉を足してくださり、即座に私は「はい」とお答えしました。子ども達の活気とキヨ先生とのこの会話が学園での私の原点です。
 クラス担任を2年間経験した後、私はキヨ先生の秘書になりました。昭和62年5月に渡米してボストン東スクール開校後エグゼクティブマネージャーとなった期間を含めて、平成元年1月にキヨ先生が他界されるまでの4年間、私は教育者、経営者、そして前人未到の領域を歩まれる開拓者としての先生のお姿を間近に拝見する機会を得ました。
 北原キヨ先生によって種まかれたボストン東スクールの今日あるのは、実に多くの人々による献身と慈しみのたまものです。学園からは多くの先生方が渡米してスクールの初期から今日までを支えてくださいました。また現地では、ジェローム・ケーガン博士、アン・ラーキン博士、ジョセフ・キーフ博士をはじめ、教育・法曹・実業・政治の各界の一流の方々に支えていただきとても誇らしく感じています。
 中でもスクールがロバート・ファンテイジア氏(平成16年秋までスクールのエグゼクティブディレクター)と出会えたことは米国での成功の最大要因であったと言えます。氏の深い洞察力と豊かな語彙によって私達の「生活療法」は英語圏で真の位置づけを得たのです。それに先立って東の教育が彼の心に初めて触れた時、彼は裸眼で「ここには何かがある」と受けとめて、後にそれを「心と心の教育(Heart to heart education)」と短く言い切ったのでした。米国での13年間、私は「出会い」のシャワーを浴び続けました。そして生きることの実感を深くしています。
 平成12年3月、帰国して事務局総務室へ配属となりました。直属の上司は事務長の横山芳夫先生でした。ボストン時代から特に財務面でたいへんお世話になりましたが、帰任後本格的に実務全般でご指導をいただき、同時に学園に学ぶ子ども達、職員、さらには地域の方々への配慮など心の面のご教示も多くいただきました。
 実務では、先生の感覚の鋭さとお仕事の速さ・正確さにいつも感銘を受けておりました。少しずつ仕事の引き継ぎを受け過去の書類に目を通すたびに、あの多忙なスケジュールの中で、しかもすべてを手書きで仕上げられた膨大な情報が誤りなく整然と処理されていることに驚きました。
 さらには、大切な局面で示される先生の瞬時の判断と反応は振りかえってみればいつも正しく、天与のものと承知しつつも、この感覚をどのように磨かれたのかいつかお聞きしてみたいと思っていましたが、あまりにも早いご逝去にとうとうこれは叶いませんでした。
 様々によぎる思いを越えて気持ちを定めた上で、私はこの職をお引き受けいたしました。私の胸には野田彰先生がかつて学園長として私達を導いてくださった時の「ゆるやかな構造的変化・前進」のお言葉が響いています。また、少々ラジカルに過ぎるようにも聞こえますが、私の母校の「伝統は守るべからず創るべし」も常に反芻している言葉です。「器にしたがいながら いはがねもとほすは 水の力なりけり。」これは先日富士浅間神社で得たおみくじの中の言葉です。
 学園の歩みは続きます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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