武蔵野東学園広報 野田 彰先生追悼号 【オンライン版】    平成18年(2006年)4月21日発行

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「笑顔保育」

               幼稚園 園長 加藤 篤彦

 園児たちに囲まれて野田先生が笑っていらっしゃる写真が、ふたつの幼稚園に飾ってあります。最後に子どもたちにお話下さった平成14年度末の修了式後に、撮影した写真に 「笑顔保育」 のことばを添えて私たちに贈って下さいました。学園長・幼稚園長としての野田先生はいつも「私学人」としての気骨と気概に溢れていらっしゃいました。一方で、「笑い」 や 「笑顔」 の大切さのこともよく話してくださいました。 「笑い」 は、相手にとっても自分にとっても、心情にも身体にも大切なことは言うまでもありませんが、日々の生活の中で、笑顔をつい忘れてしまうことが間々あります。だからこそ、いつの時も、時間を慈しみ楽しいと思うような心のありようや生き方を 「哲学」 として教えてくださったのだと思っています。
 学園発展の大きな柱として、また身近には園長先生として、私どもをお導き下さったことを深く感謝するとともに、先生のご冥福をお祈りします。

先生にお仕えして

                小・中学校 校長 石橋 恵二

 私は秘書として十年間という歳月を野田先生の下で過ごしました。学園長として毎日各園校の報告書と土曜日には先生たちすべての指導ノートに目を通し、ご自分の小さな手帳にメモをとり、今度この先生に会ったらぜひこのことを話そうとメモをとられていました。先生たちのノートに誤字が多ければ忙しすぎるのではないかと心配したり、先生たちの見識を広げるために毎週月曜日には吉祥寺駅に出向き、総理府が発行していた 「今週の日本」 という新聞をどっさりとビニール袋に入れてお持ちくださったりしました。先生は決して自分の考えを押し通す方ではありませんでした。 「そのあたり、考えてみてね」 と言うだけです。だからみんなで考えました。後進を育てることをずっと考えてくださっていたのだと思います。また日本私立小学校の理科部会を創設し 「私学理科」 にこだわり、私学魂を後輩たちに語り継ぎました。東の先生を叱りつけたのは二回、保護者を叱ったのは一度しか私には記憶がありません。先生、子どもたち、親にとって野田先生は精神的な支えでした。 「この人のためならば」 と頑張れる、あまりにも懐の深い先生でした。

野田先生と高等専修学校

                         高等専修学校 校長 清水 信一

 真の教育者であり、また真の写真家であった野田先生のお撮りになった 「さくらの写真」 が高等専修学校の校長室に飾られています。野田先生が東学園に勤務される2年前に高等専修学校が創立され、当時は学園本部が高等専修学校の校舎の中で共存している状況でしたので、ある意味、野田先生は学園内で一番多く高等専修学校の先生や生徒たちと接点をお持ちになっていたと思います。ですから、真の教育者である野田先生のおちゃめな一面が数多く思い出されます。そして、学園本部が北原記念館に移った後、当時野田先生が執務をとられた机と椅子を、野田先生の教育に掛ける情熱を少しでもという願いで、いま私が使わせて頂いております。 
 さくらの季節が巡るたびに、野田先生のことを・・・・・・。 

教育に道を求め人に笑顔を与える

     武蔵野東教育センター所長 長内 博雄

 野田先生は、教育を通してご自身の 「道」 なるものを生きようとしてこられたように思います。先生が若い頃に書かれたという数編の教育小論の冊子を目にしたことがありますが、その文章は気高い教育思想を貫こうとする先生の強い意志と教育への壮烈な精神が感じられるものでした。こうした人間の生命に対する人並みならない真剣さが先生の中で熟成され、ひらりと翻って、野田先生のあの底抜けに温かく徹底して人を裁かぬお人柄となっておられたに違いありません。深い生命観に立脚した先生の笑顔、たくまざる笑顔が私たちを限りなく元気づけてくれていたのです。
 今さらながらですが、ボストンにお供していた頃のように車でふらりと美景の地にお連れして、先生に心置きなくカメラのシャッターを切っていただきたかったなあとついつい思ってしまいます。 
 野田先生、「人を思い遣る」 お姿を一貫してみせていただき、本当にありがとうございました。 

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