教育センターについて

副島 洋明(弁護士)障害者擁護に携わって


*副島先生は、平成19年度まで障害者の人権擁護などについてアドバイザリーボードとして様々なご助言をいただきました。



1.コミュニケーションをたちあげる

(第2号)平成18年7月18日発行


自閉症とされる人たちの言葉とコミュニケーション/私もこの人たちのことを、言葉によるコミュニケーションが苦手だなどと表現していますが、どうもその表現では、この人たちが人とのコミュニケーションを望んでいないと誤解されかねないな、と思ってきました。


最近、ある辞典でコミュニケーションという言葉をひくと、その書き出しのところに語源として<共通のものを分かち合うこと>とありました。情報伝達だけじゃないんですね。もっと手前のところに、人が人と向き合って呼びかけ、そして聞きとって何かを分かち持とうとする心的状況があるんだと気づかされました。自分と相手の“声”、それは言葉でなくても表情や態度や無意識のボディランゲージを含めて、呼びかけと聞きとり(受けとめ)が同時になりたつ関係なんですね。コミュニケーションをたちあげるためには、分かち合う“言葉”、わかりあえる、通じ合う関係をつくらなくちゃならないな、とそんな思いを強くしています。


2.安心してひとりになれるところ

(第3号)平成19年1月29日発行


もう少し大人になれよ。/事件をおこしたこの人たちにそんな思いにさせられることはしばしばです。そんなことはせんないことだとわかっていますが、正直、そういいたくもなることがあります。


確かに、他人の顔や場を読めず、誤解を与え、不快・不安にさせ、いらぬ緊張とリアクションをつくり、それが事件の背景となっていますが、しかし、それでもこの人たちは精一杯、社会(他人)に折り合おうと我慢努力して、ヤバイところから身を避け、怖い人には背をかがめてやってきています。この世の中、長いものには巻かれて、強いものには逆らわずにやっていかないといけないんだと教えられ、わかったつもりですが、それがどうも失敗してしまいます。


いつもいつも緊張してアンテナをはりめぐらせていると、ストレスもたまり、時には疲れていやになることだってあるんじゃないでしょうか。そんなとき、ひとりになれる、いつでも逃げ込めていつまでもひきこもって気持ちの整理をつけられる、そんなところがつくれないだろうか。


3.育ちの大切さ

(第4号)平成19年3月30日発行


人としての育ちのところで、大人から大切にされかわいがられて育ったという体験、それは成人してからも“苦境”におちいった時にとても重要だと、つくづく思い知らされています。経済的に恵まれた家庭であったとか、障害や症状に特に配慮されたかということではないように思います。


事件や問題は、確かにその当時の周囲の理解や支援との関係に左右されるものです。それでも子ども時代に親をはじめ、大人からかわいがられてきたという“育ち”は、それは記憶を超えて“身”につくようなものでしょうが、誰にとっても苦境から脱してこの社会で生き直すとき、人との関係でよみがえってくるものではないでしょうか。他人(社会)への信頼というか関係との距離というか、接近の容易さに影響してくるもので、この人たちにとっては支援へのつながりやすさになってきます。育ちの良さは人にとって生きる力をつくる、そういえると思います。


4.この人たちの魅力/私がとりつかれたわけ

(第5号)平成19年7月20日発行


自閉症とされる人たちの良さ、それはこの人たちの症状と同じくらいたくさんあるでしょうが、そのうちでも私にとって、その<正直さ>があります。人の心や腹をさぐったり、人をだましたりということがとても苦手、いや、私にすればとてもそんな汚いことができない人たちということになります。


ところが、この人たちの正直さは、人とのトラブルや事件といった場面では、しばしば悪く受けとられたりすることにもなります。例えば、生じた結果や周囲の状況からみれば、ことを荒立てずに謝ったりしておさめるべきところを、それができないために、関係者には反省しない態度と誤解されたりして損をさせられています。今の社会、この人たちの正直さはまだリスクでありハンディといわざるをえないでしょうが、しかし、それは同時にこの人たちの魅力にもなっています。


それは障害特性というよりこの人たちの良さ/人間性としてとりあげることができるものです。この人たちは、人との関係で一方で孤立しながらも他方で共同性をつくるような“力”、人をひきつける魅力をもっています。私もその魅力にとりつかれたひとりですが、それはこの人たちの正直さにみられる人間性が好きになったというところにあるのではないでしょうか。


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