(第14号)平成22年7月10日発行
娘が生まれたのは今から23年前、自閉症とわかったのは2歳の時でした。その後、成長するにつれて、私たち両親に「悩み」が生まれました。それは、しつけるとき、どこまで強くしかっていいのかということです。当時読んだ本に「受容が大切」という言葉がありました。強く叱るより、自閉症の子どもの行動を規制せず、言い方はよくないですが、まずは放任し、誘導するように社会性を身につけさせていく考え方です。おしりをたたくなどもってのほか。「スパルタ教育」などは、自閉の子のパニックを引き起こすだけで、百害あって一利なし。そして、自閉症の子が暮らしやすい社会こそ、優先されて作られるべきだとなります。
娘が幼稚園にあがるころ、私たち夫婦は、この方法を実践しているある施設を見学に行き、実は、少し考え込んでしまいました。その子たちはやりたい放題。確かにのびのびとはしていますが、社会の常識とは大きくずれ、このままではとても社会生活などできないように見えました。誤解を恐れずいうと、わがままを容認し、悪いのは社会のほうだと開き直っているようにすら感じました。理屈は確かにわかります。しかし、実際の社会は自閉の子が生活しやすいようには、全くなっていません。無秩序な騒音が鳴り響き、けばけばしい看板が並び、無慈悲な人間の集団が、突然覗き込んだりちょっかいを出したりしてきます。轟音を上げてバイクや自動車が道路を走り、時には信号を無視していきます。もし自閉の子がその道路に飛び出し、事故を起こしそうになったら、おそらく親は、二度としないように強くしかり、スパルタ的なこともしてしまうかもしれません。「・・したらだめ!」という否定の言葉よりも、「・・しましょう」という誘導の言葉が大切とはわかっていても、「・・したらだめ!」としからなければならないときもある。危険に直面したわが子を前に、自閉の子に向いた社会ができるのを待っている余裕はないのです。社会が変わる前に、社会にあわせて最低限のことができる子を育てないと、自閉の子は生きてはいけないのです。
ジャーナリストの目から見ると、確かに最大の問題は、自閉症の人に寄り添わない社会制度の不備にあります。しかし現実には、目の前の問題を解決するために、折り合いをつけるしかないのも事実です。なんと不条理な世界。将来の社会変革を夢見ながらも、私は最近、自閉の子の心を傷つけず、うまい具合にとりあえず社会と折り合いをつけていく、未来型のシステムがないものかと、考えるようになってきました。
(第15号)平成22年12月4日発行
今年10月、COP10(生物多様性条約の国際会議)が名古屋で開かれました。今地球には、名前がわかっているものだけで145万種、未知のものを入れると3000万種(学者によっては1億種)の生物がいます。地球誕生後、最初の生物から始まって、遺伝子が果てしなく組み換えられ、生物は「多様化」の方向に進化してきました。そして目に見えない複雑な因果の糸でつながれ、「共存共栄」の巨大なシステムで、生かしあっているわけです。その生物多様性が、今、自然破壊や乱獲などの人間活動で、急速に壊れ始めています。今までの地球史でも、種の絶滅は何度かありましたが、こんなに急速におきたのは初めてです。生物学者はこの状況を、よく飛行機にたとえます。145万種の部品でできている飛行機が、毎日たくさんの部品を落としながら飛んでいるようなものだというのです。私たち人類も、生物の仲間。植物が作る酸素で呼吸し、動植物を食べて生きていることを思うと、生物多様性の危機は、そのまま人間の危機にもつながるわけです。
私は、COP10の取材を通して、「多様性」の大切さを学びました。なぜ生物が多様化してきたのかというと、環境の激変にも生物全体として耐え、生き延びることができるからです。船室がひとつの船よりも、いくつもの船室に分かれているほうが、座礁したとき沈まないように、生物も多様なほうが、環境の変化に順応し、生き延びることができます。会社も、様々な能力の社員がいるほうが、経済社会の激変に適応し、新しい商品開発ができるし、農業だって、単一作物の巨大な農地よりは、複数の作物をモザイク状に植えた農地のほうが、害虫の被害を最小限にとどめることができます。こう考えると、「多様性」は、生物が長い歴史で生み出した、絶妙のメカニズムだといえます。この原理は、私たち人類の存在の根底にも、きっと流れているはずなのです。
私は「みんな違ってみんなイイ」という言葉が好きです。人間社会にも様々な文化や個性があり、それぞれが共鳴しあい、影響しあい、共存することが大切です。しかし、残念なことに人間は、現代文明で社会を均一化し、多様性を失う方向にあります。私たちは今、「生物多様性」という言葉をもう一度噛み締め、その中に秘められた普遍的な意味を、読み取る必要があるのではないでしょうか。社会に様々な個性の市民が暮らし、異なる文化を尊敬し、協調しあう社会に、私たちの子供は生きていてほしいと思うのです。
(第16号)平成23年3月5日発行
子供を育てていると教えられることが多い。ずいぶん前、まだ3人の子供が幼かった頃、我が家のペットのウサギ(フラッフィー・ボナパルト・ムロヤマ)が突然死する事故が起きた。予想外の暑い夏が続き、熱中症で、子供が見ている前で息を引き取った。世話係の長男は大変なショックを受け、自分を責め、何日か話をしなくなった。数日後、少し元気になった彼が、思いつめた顔で、私に質問してきた。「生き物はみんな死ぬのか?」私はその質問に少し驚いたが次のように答えた。「生き物はみんな死ぬ(正確には死のプログラムは有性生殖の引き換えだという説がある)。人間も全員死ぬ。キリスト様も、お釈迦様も死んだ。死亡率は100%だ。」「パパやママも、自分も死ぬのか?」(息子)「みんな死ぬ。生まれる前にいたところに戻るのだから、余り心配しなくてもいい」(私)。長男は少し考え込み、さらに質問してきた「どうせ死ぬのにどうして生きているの?」。
私はこの質問に絶句し、しばらく言葉が出なかったが、親の沽券もあり、次のように答えた。「大輔(長男)はお小遣いをもらっているね。どうせ使うのだから、もういらないよね?」あわてて長男は否定し、お小遣いは必要だと主張した。・・私は何とか苦境を切り抜け、長男の追及を逃れたが、実を言うと苦し紛れの回答だった。この質問は、すごい質問だ。そうだよなあ。何でだろうなあ。生きるってどういうことなのかなあ。。そのあと少し考えてみたが、巨大で本質的すぎてとても分からない。正直言って、いまだに分からない。もう一度聞かれたらなんと答えればいいのだろうか。
私はNHK教育テレビで「科学大好き土よう塾」という、子供向けの科学番組を5年間やったが、子供の質問に窮したことは何度もある。「空はなぜ青い?」から始まって「地上には何故たくさんの生き物がいるのか?」「宇宙の果てはどうなっているのか?」など、私たちが子供の頃感じたのと同じ質問に出会う。しかし私たち大人は、そのような素朴な疑問や驚きをいつしか忘れ、「分かった」ふりをして、その場をごまかし続けることが多い。青空や星空を見上げて感動したり、海の波の向こうに思いをめぐらす時間は、日常的にほとんどない。
私がNHKに入局したとき、報道番組の神様と呼ばれるプロデューサーに、番組つくりの秘訣を質問したことがある。答えは「高度な平凡性」というものだった。ジャーナリストの大敵は「分かったふり」。子供のような素朴な質問ほど、鋭く本質をえぐることを教えたかったのだろう。
子供から学ぶことは多い。私たちはどこまで「あの心」を思い出せるだろうか。心の曇りをもっと取り払わなければならない。
(第17号)平成23年7月9日発行
自閉症の娘を育てて23年。ずっと続いている悩みがあります。それは、自閉症などの発達障害の原因が「脳」にあるということを、伝えることの難しさです。発達障害の子を持つ親が最初に直面する悩みの一つに「大丈夫よ。きっと良くなるから」という言葉があります。この言葉は親戚や、親しい友人など、発達障害を知らない人から善意で発せられる場合が多いのですが、一つ落とし穴があります。それは、自閉症が脳由来の障害だということを理解していないがために、「今まできちんと育ててこなかったからこんな子が出来た」と言う考えに直結する場合があるからです。
心の発達は「脳」と「環境」で決まります。しかし、「発達障害の原因が脳にある」という考え方が医学的に成立する前、発達障害は育て方の結果だと考えられた時代がありました。特に母親は、「赤ちゃんの時の育て方が悪かったのではないか」など、様々な自責の念にかられています。そんなとき発せられる「大丈夫よ、きっと良くなる」という言葉は、「発達障害は治さなければならない病気だ。治らなければ負けだ」「環境を変えればすぐ治る(あなたのせいだ)」という残酷な言葉となってしまうのです。私達は、発達障害を引き起こす原因が脳にあることをきちんと把握し、それを踏まえた上で、その子の特性を理解し、教育の環境作りをしながら、成長を誘導していく必要があります。
発達障害の子を育てる主体が母親の場合は、母親を孤立させてはなりません。父親は、仕事の忙しさを理由にせず、育児に奮闘する母親をバックアップし、特に精神的に励ます必要があります。その他の家族や親戚も同じです。この連係プレーを作り上げるのはとても大変ですが、何とか進めていかなければなりません。
もう一つ。育児に疲れたら、レスパイトサービスなどを使って子供を預け、映画やショッピングに出て鋭気を養うことも重要です。発達障害の子とともに生きていくのはマラソンのようなもの。あせらずゆっくりと、気長に取り組んでいきましょう。
私達夫婦が、23年の子育てで辿り着いた結論は「みんなで幸せになる」事が大切だということでした。