教育センターについて

大南 英明 (放送大学客員教授)障害児教育にたずさわって 「自閉症教育のむかし、今」


*大南先生は、文部省特殊教育課教科調査官、東京都教育庁指導部心身障害教育指導課長、都立青鳥養護学校長、帝京大学教授などを歴任されました。豊富な経験をもとに武蔵野東学園のアドバイザリーボードとして様々なご助言をいただいています。


1.「自閉症教育のむかし、今」 その一 昭和35年(1960)~

(第10号)平成21年3月7日発行


昭和35年4月、私の教育生活が、三鷹市の中学校から始まりました。担当は、精神薄弱児(現在は知的障害)の特殊学級(現在は特別支援学級)で、小学校の中に、小学校の特殊学級と同じ場所で授業をしていました。当時は、1学級の生徒数は15名(現在は8名)で、2学級30名を2人の教員で指導していました。小学校の児童も30名で、60名の児童生徒が、活発に活動していました。


中には、独り言の多い子、こだ わりの強い子、集団の中へなかなか入れない子、食べられる食品が少ない子などがいました。自閉症という言葉がまだ使われていない頃で、主任の先生の助言を受けながら、指導に苦心したことが思い出されます。(自閉症児のための学級は、昭和44年、杉並区立堀之内小学校に我が国で初めて設置された。)


生徒の指導をしながら、東京学芸大学臨時養護学校教員養成課程に昭和37年10月から翌年3月まで通い、養護学校教諭免許状を取得しました。ここで学んだことが、その後の教員生活にとても役立ちました。


2.「自閉症教育のむかし、今」 その二  昭和38年(1963)~ 

(第11号)平成21年7月11日発行


昭和38年4月、墨田区立本所中学校へ異動し、三鷹市とは違った地域、下町で仕事をすることになりました。当時は、中学校の特殊学級を卒業後は就職する以外にどこへも行く場所のなかった時代で、ほとんどの生徒は何度も工場で実習した後、就職しました。万年筆のスポイト用のゴムの管を100本ずつ板にさしていく作業、ハイヒールのかかとの部分の微妙に異なる大きさの皮をはり合わせる作業などに、会社で1、2番の正確さと速さで仕事ができる人もいました。


昭和40年代では、障害のため就学猶予・免除をせざるをえない子どもたちがたくさんいました。私は「なぜ、この子たちは学校へ入れないのか」と疑問をもち、関係方面に問題を投げかけていました。昭和45年7月より第2・第4日曜日に未就学の子どものための幼児教室を開きました。20人近い子どもが集まり、その半数は、自閉症もしくは自閉傾向といわれていました。この年、私は教育大学(現筑波大学)へ内部留学生として研究、研修に出ており、学校を離れていましたが、学校へ行けない子どもたちのことが気がかりでした。そこで、墨田区教育委員会の担当者、保護者、校長先生、先生方の代表と会を設け、当時の特殊学級の入級基準に合わない子どもたちの就学を検討しました。


その結果、昭和47年4月、墨田区立二葉小学校に新しい学級が設けられ、9名の子どもたちが入学できました。その中で1年は6名で、いずれも自閉症もしくは自閉傾向と診断されていました。この学級の設置は、東京都が行った障害児の希望者全員就学の2年前、養護学校教育の義務制の実施より7年も前のことでした。これまで、東京都内では、自閉症・情緒障害学級は、通級制でしたが、墨田区は、固定制の学級として運営しました。


3.「自閉症教育のむかし、今」 その三  昭和48年(1973)~

(第12号)平成21年12月4日発行


昭和48年10月、東京都は障害児の希望者全員就学を昭和49年4月より実施することを発表しました。入学のための就学相談を行う必要があり、12月に盲学校、養護学校、特殊学級から7名の教員が教育庁に召集され、相談を開始しました。就学猶予をしている子ども、障害について専門家や専門医に一度も相談をせず、診断を受けていない子、昼間と夜が逆転して生活している子など、年齢、障害の状態が多様な子どもたちが、相談に集まりました。武蔵野東幼稚園のことが話題になったのもこの頃のことです。


相談を受け、養護学校へ入学した子どもたちの中には、障害の重い子ども、自閉症の子どもが幾人もいました。これまで学校が経験していない多様な障害の状態、行動を示す子どもたちが多数いました。重度・重複障害の子どもたちの教育の在り方が喫緊の課題となり、昭和46年に国立特殊教育総合研究所(現独立行政法人国立特別支援教育総合研究所)が設置され、昭和48年には国立久里浜養護学校(現筑波大学附属久里浜特別支援学校)が開校し、研究と実践の両面から重度・重複障害への取り組みが始まりました。


昭和54年4月、養護学校教育の義務制が実施され、障害のある子どもたちが義務教育を受けられるようになりました。この時点で、我が国の義務教育は、完成の域に達したといえます。当時の精神薄弱養護学校には、全国平均で約15%、多い学校は30%以上自閉症児が在籍していたことが、校長会の調査に残されています。特に指導が困難な状況を①言語によるコミュニケーションの障害、②固執性(特定なものに対する興味の固執)、③生活の流れのパターンを変えるのを嫌がること、④欲求や行動が阻止されるとパニックになることなどとまとめています。これらの課題が明らかになったのですが、具体的な指導内容・方法等は、全国的に拡がりませんでした。


4.「自閉症教育のむかし、今」 その四   昭和54年(1979)~

(第13号)平成22年3月6日発行


養護学校教育の義務制が実施された後、知的障害養護学校・特殊学級で、自閉症と知的障害の重複の児童生徒の教育が行われてきました。文部省の実験学校、研究指定校において、自閉症の児童生徒の指導内容・方法が研究されましたが、全国的に普及するまでには至らなかったように思います。


平成5年より実施された通級による指導により、自閉症・情緒障害の児童生徒に対する教育の形態が拡大されましたが、地域的に限定されたようです。


平成13年1月「21世紀の特殊教育の在り方について」の報告が出され、LD、ADHD、高機能自閉症に対する教育の必要性が提言の一つとしてまとめられ、注目を浴びることになりました。この報告を契機として、発達障害への関心が高まり、平成18年に学校教育法施行規則が改められ通級による指導の対象となる障害が拡大されるとともに、情緒障害と自閉症とが別に表記されることになりました。長い間、情緒障害の中で、説明されてきた自閉症が、ひとつの障害として認められたことは、自閉症教育にとって大きな転機であるといえます。


さらに、平成19年12月に4月2日を世界自閉症啓発デーに定める決議が採択され、我が国でも4月2日にイベントが開催されています。そして、平成21年2月には、文部科学省より通知が出され、これまで使われてきた情緒障害特別支援学級(特殊学級)の名称を「自閉症・情緒障害特別支援学級」に改めることになりました。


今後は、制度上の転期を契機に、指導内容・方法についての実践研究が、全国的に拡がることを期待しています。4回の連載をお読みいただけたことを心から感謝いたします。


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