(第42号)2019年12月1日発行
私と武蔵野東学園との関わりは、東京大学教養学部の学生であった1999年に当時の特殊教育総合研究所分室に訪問し、寺山千代子先生、東條吉邦先生から分室と学園との共同研究へとお誘いいただいたことがきっかけでした。その後、分室での夏の研究に携わり、研究所の組織改革で分室がなくなってからは、当時所属していた東京大学総合文化研究科・駒場キャンパスで夏の研究を引き継ぐこととなりました。その後、現在に至るまで、駒場の夏の研究では、学園の児童・生徒や卒業生、保護者や学園の教職員の皆様に、大変お世話になっております。私自身は英国に研究の拠点を移したこともあり、夏の研究にお越し頂く皆様と直接関わることも少なくなってしまいました。ただ、駒場での研究を引き継いでくれた後輩たちから、当時来てくださっていた児童・生徒の方々が成人となり、新たな活躍の場を見つけたり、人生を楽しんでいたりすることを伺うことも多く、懐かしかったり、嬉しかったりしております。
今回の連載では、日英での自閉症研究の経験から学んだこと、感じたことなどを少しずつ紹介していきたいと思います。第1回の今回は、「自閉症」という名前の話です。
日本語の「自閉症(あるいは自閉)」は英語の「Autism(オーティズム)」の訳語なのですが、この二つの言葉には、かなり語感の違いがあるように感じています。Autism はギリシャ語の「自己(autós)」が語源となっており、外部の力や操作によらず、自律的、自己完結的に動く、といった意味になります。オートマ(AT)車の「オートマティック」や、自動化を意味する「オートメーション」などに含まれる「オート」も同じ語源から来ています。この「オーティズム」が日本語に翻訳された際、自己を表す「自」に加え、外部に向かって閉じた状態を表す「閉」が加わって、「自閉」という語が当てられたようです。
この「閉」の字がある日本語と、それに対応した意味を(直接的には)含まない英語とでは、言葉の響きがだいぶ違って感じられます。私の感覚なのかもしれませんが、日本語訳には、英語にはない「社会を拒絶する」「引きこもる」といった意味が足されている気がしており、自閉スペクトラムの方々の実情や多様性とはずれたイメージを生み出す一因となっているようにも思われます。日本では「自閉」という言葉ではなく、以前は「アスペルガー」、最近は「発達障害」といった別の名称が好まれがちなのにも、言葉の響きが関わっているのかもしれません。翻訳がなされた当時と現在とでは自閉症の理解にも大きな変化が見られることですし、もう少し実情に即した、ポジティブな響きの日本語名があれば良いのに、と思うこともあります。ただ、自身ではなかなか良い訳語を思いつくこともできず、歯がゆいところです。
(第43号)2020年3月1日発行
最近、自閉症の診断の歴史について研究している方とお話をする機会がありました。歴史的に見ると、世界保健機構や米国精神医学会により標準化された「国際的」な自閉症の診断基準は、1960年代、70年代の英国で生まれたそうです。自閉症児を定義し、人数を数えることにより、特別支援教育の対象として公的支援を受けられるようにするという、社会運動・子どもの権利の一環としての側面があります。それまでは「知的障害」として施設に隔離されていた子ども達を学校教育へと統合し、適切な支援が受けられるように制度を整えるという役割を果たした「自閉症の医学的な診断」という発明は、現在につながるインクルージョン運動の先駆けとして捉えることができるかもしれません。
もちろん、時代の変化とともに、自閉症の捉え方や診断に対する考え方にも、大きな変化が起ころうとしています。例えば、近年、自閉を「障がい」としてではなく、「脳の多様性」(ニューロダイバーシティ)として捉えよう、という社会運動が、主に北米や欧州を中心に広がってきています。当事者が、障害を持つ「支援の対象」ではなく、自閉という脳の特徴を持つ個人として、主体的に社会や教育、政策決定にかかわるべきであるという考え方は、好ましいものであるように思われます。また、自閉症を生物学的な疾患として「治療」するのではなく、自閉という「多様性」を持つ個人が十分に社会参加できるように、現在の「非自閉者」に最適化された環境や制度を整えるべきであるという主張は、現在のインクルージョン運動の一環として、共感が持てるものでもあります。
ただ、自閉を「障がいではなく多様性である」と主張することにより、現在の公的な社会的・医学的・教育的支援の根拠が失われてしまうのではないか、政府が行おうとしている公的支援への支出削減に繋がってしまわないかという不安が、英国などでは議論されているようです。また、自閉はとても幅の広いスペクトラムなのでニューロダイバーシティ運動の中核となっている、主に青年期や成人期に診断を受けた方々と、言葉や認知の発達、自立にも同時に困難さを抱えるような自閉者との間にある多様性に対して、どのようにアプローチするべきなのか、活発な議論が行われています。自閉は障害なのか個性なのか。診断や介入・支援は何を目的とするべきなのか。医療や教育、社会福祉などの公的な支援は、どのように行われるべきなのか。主に欧米で始まっている、自閉に対する考え方の大きな変化は、今後日本にも影響を及ぼすかもしれません。いろいろと考えさせられる問題です。
【参考文献】 英語ですがオンラインで無料で読めます。自閉症という概念の歴史について、とても興味深い論考がなされています。 Bonnie Evans (2018). The Autism Paradox. Aeon Essay https://aeon.co/essays/the-intriguing-history-of-the-autism-diagnosis
(第44号)2020年7月1日発行
新型コロナウィルスの影響も未だ残る中、武蔵野東学園の皆様にはいかがお過ごしでしょうか。ウィルスに関する不安だけでなく、学校が休校や自宅学習・オンライン学習になったり、保護者の方々の勤務体系が変わったり、公共の場所での過ごし方に関するルールやマナーが急激に変わったりと、日常生活の様々な側面に大きな変化が生じています。こういった現状は、自閉など発達障害を抱える方々や保護者の皆様に大きな負担やストレスを与えていると、イギリスの報道機関でも大きく取り上げられていました。学園も教育センターも徐々に通常に戻ってきているとは伺っていますが、皆様が無事に過ごされていることをお祈りします。
さて、今回のコラムでは、前回の話に引き続き、自閉症と世間との関わりについて、もう少し考えて見たいと思います。私は現在、ロンドンの大学で子どもの発達や自閉症について教えていますが、様々な国から来ている学生たちの話を聞くと、自閉症当事者や家族、支援者の抱える「問題」は、国によって大きく異なります。例えば、いわゆる「発展途上国」で医療や教育制度が整っていない場合には、そもそも診断や療育へのアクセスがその国にはほとんど存在しない、という困難さがあります。また、そういった国ではそもそも診断がほとんど行われないため、自閉症の存在について世間でほとんど知られていない、または大きく誤解されている、ということも多くあります。これらの地域では、いかにして安価な診断や療育の仕組みを作り、また自閉症や発達障害についての理解を広げるかということが、大きな課題となっています。
また、子どもの育ちや個人と世間の関わりに関する文化の違いが、自閉症の理解や支援の方向性を変えたりすることもあります。例えば、「みんなと同じであること」「社会や家族の一員であること」が重要視される文化圏では、子どもを「普通」に近づけることに重点が置かれ、発達障害を抱える子どもに負担をかけたりもします。一方、そういった社会では家族や周囲との「助け合い」が生まれやすく、発達障害を抱える方々が親族や地域での「役割」を得て溶け込めている、という事例を聞くこともあります。こういった文化圏では、主に個人主義のアメリカや西ヨーロッパで始まった、個人の権利や自立、多様性の受け入れなどを主張するニューロダイバーシティ運動は、共感を得られにくかったそうです。
自閉症などの発達障害が個人の特性と社会との関わりから生まれるのであれば、当事者の脳機能やこころの働き、行動特徴の理解だけでなく、それぞれの個人が暮らす国や地域、文化圏での社会制度や社会的要請の特徴についても理解することが、より意味のある、生活に寄り添った支援の開発に不可欠であるようにも思われます。理想としては、自閉症当事者や支援者の国際交流を深めることで、それぞれの国や社会の「縛り」や「強み」を客観的に捉え、支援の方向性に役立てていければ良いなあと思っているのですが、実現には色々とハードルが多く、試行錯誤しているところです。
(第45号)2020年12月1日発行
早いもので、私の連載も今回が最終回となってしまいました。この連載を始めた1年前には想像もつかなかった世の中となり、戸惑ったり驚いたりすることばかりです。新型コロナウィルスに有効(である可能性が高い)ワクチンの開発など明るい話題も少しずつ出てきているので、今後良い方向に世の中が動いていくことを祈るばかりです。
さて、最終回となる今回は、これまでの連載を振り返りつつ、自閉と社会との関わりについてさらに考えていきたいと思います。私が自閉症研究を始めた20年前を思い返すと、当時はいわゆる「冷蔵庫母親説」、母親の愛情不足が自閉症を引き起こすという間違った理論への反省から、自閉症を引き起こす遺伝子や脳の働きなど、いわゆる「生物学的」な原因を解明し、そこを「治療」することが自閉症研究者の大きな目的として挙げられていたように思われます。ちょうど「ヒトゲノム時代」「脳の世紀」と言った言葉は科学界でももてはやされており、自閉症研究もその潮流に乗っていました。
それから20年が経ち、現在ではそれらの「生物学的」な自閉症観や、自閉症を「治療」するという考え方にも批判が集まっています。自閉症は生物学的に決まっていて変えられない状態ではなく、(当たり前の話なのですが)自閉児・者も家庭での学習経験や教育・療育によって成長し、新しいスキルを身につけ、対人行動やコミュニケーションのあり方も発達に伴って変化していくことが改めて注目されました。同時に、自閉症を「治療する」という発想ではなく、自閉を当事者の個性・特性の一つとして捉え、彼ら・彼女らが学校教育や就労、友人関係や家族関係などで抱える困難さに個別に向き合い、当事者の生活の質を上げるための支援や療育を行うべきであろうという主張が、特に欧米では勢いを増してきました。また、自閉者自身も研究や政策決定に主体的に関わり、自分たちの生きやすさのための教育や職場、社会のあり方について提言し、研究や実践を担うという、当事者参加型の研究や実践も大きく増えてきました。
拙著「自閉症スペクトラムとは何か」にて、「自閉症とは定型発達を映す鏡である」と書いたことがあります。対人行動やコミュニケーションの難しさ、他者に理解されにくい感覚やこだわりを抱える自閉児・者の抱える生きにくさや生きやすさは、それぞれの国や地域、それぞれの時代での子育てや教育、就労、人付き合いに対する捉え方、さらには(ニューロ)ダイバーシティに対する世間の態度や社会制度の対応を映し出す鏡なのかもしれません。これからの社会が自閉を持つ当事者や家族にとっても生きやすいものであることを祈りつつ、私も一人の研究者としてできることをコツコツと積み重ねて行きたいと思っております。最後になりましたが、4回にわたる連載におつきあいいただき、ありがとうございました。