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今年は平成の時代に入って20年目、これはほぼ北原キヨ先生なき後の年数にも当ります。北原先生が初めて幼稚園を設立したのが昭和39年11月。高度経済成長期の真只中で、昭和39年は当時世界の注目を集めた新幹線が開通し、その10月にはアジアで初めてという東京オリンピックが開催された、戦後の日本復興を象徴する年でした。国の経済力が急成長して人々の生活が豊かになるとともに、教育への熱も高まり幼児の教育にまで視野が広がり出してきたという時代に、北原先生は武蔵野東幼稚園を建ち上げたわけです。時代は進み、破竹の勢いで膨らんだ経済成長は、バブルの崩壊を経て現在に至るまで低迷が続いています。大量の生産と消費の生活の中、西欧文化の急激な流入による不消化も手伝ってか、ここ数十年の私たちの社会の在り方はずいぶんと変化しました。人々は都市へ集中し、地域のつながりは脆弱になりました。私たち日本人が本来持っていたと思われる他人への関心や人情という人間的な価値基準が、姿をとどめないほどに濁流に押し流されてしまったかのようにも見えます。こうした時代の流れは多くの示唆をふくみ、私たちに方向の転換を迫ってもいます。物の豊富さの意味を取り違えてはならないこと、経済のみを追求することの愚、「人の心」が主役になって生きてこその人生であること、価値観のバランスをとって、本当の意味での豊かな生活と人の世を作り出していくことなど、私たちの考えるべきことは多々ありそうです。
幼稚園設立当時は、第二次ベビーブームに向う出生率上昇中の状況にあり、健常児の幼稚園浪人も少なくなかったという時代です。まだ一般幼稚園における治療教育など通常聞くこともなく、保護者の理解も得られにくかった時代背景の中で、毅然として自閉症の子どもたちを受け入れ、手塩にかけて教育を施したのが北原先生でした。今の時代にこそ、このような世を切り開く強靭な精神と、深い人間性に基づいた教育が求められていると言ってよいでしょう。私が学園に就職したのは幼稚園創立10周年の年。新聞等に取り上げられた反響により全国から入園希望の自閉症児が殺到し、仮園舎を建てて大規模に治療教育が始まった年でした。そこで感じたことは北原先生のほとばしるような教育にかける情熱と子どもたちへの愛情。それも幼稚園全員の子どもたちに対してです。北原先生の自閉症児に対する先駆的な教育には、まさしく全身の力がこもっていました。それと同時に、健常の子どもに対する教育の情熱と力の注ぎようもまた比類のないもので、どの子どもたちも北原先生にとって大切な生きがいであるかのようでした。年齢の小さな子どもであっても自閉症の子どもであってもその外見に惑わされることなく、心の中を覗いて子どもに話しかける北原先生にびっくりしたものでした。それは子どもの心の重みをしっかりと受けとめている行動で、東学園の教育技術の秘訣がこの辺にあります。
北原先生の教育観に触れ、今の世情をそれに重ね合わせるとき、自分さえ、我が子さえよければという狭い心が横行する世間の風潮に嘆息するのは私ばかりではないでしょう。「子どもは国の宝」ですが、皆が力を合わせて「どの子どもも世の宝」にすることが、武蔵野東学園の隠れた主張であることを互いに認識したいと思います。古くには、大家族や村という共同体がよりよく子どもを育ててきたわけですが、この武蔵野東学園も使命ある子育てのための共同体ということになります。そこでは皆で我々の子どもたちを育て合うという気持が必要になります。保護者の皆さん同士でも付き合いが長年にわたると、時には仲たがいを経験することがあるかもしれません。煩雑な社会生活の中での我が子の教育に、心の余裕の失われがちな日常というものは誰にでも付きまといます。一時の失態、過ちを互いに赦し合う気持をもって前進することは、機能的な子育て共同体を創り上げるために欠かせないことです。学園の教育の土台となる協力者である保護者の皆さんには、武蔵野東学園が一丸となって東の子どもたちを社会に押し上げていくために、今後とも心を合わせてご支援をお願いいたします。
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