東だより 武蔵野東学園広報 第5号 H12(2000).12.19発行



教育を考える-二学期のズームアップ-

学園長 野田 彰

 二学期もいよいよ終わろうとしています。二学期は昔から実りの秋などとよくいわれていますが、今風に大げさに言えば、この二学期は二十世紀最後の学期ということになります。今世紀中に解決したい多くの問題にとり囲まれながら、教育界もまたその成果の多くを新しい世紀に期待をかけているというのが現実です。

 武蔵野東では、教育界の現実を理解し教育上の諸問題を認識し、そして教育は学校教育だけでないことを知りながらも、武蔵野東の教育をさらに充実させるために、度々の職員半日研修会やその他の研修会などで勉強を重ねてきています。

 職員半日研修会のテーマの一つに「新しい視点に立ちこれからの教育を模索していく」というのがあります。今まで馴れ親しんでいる伝統的な教え方に新しい解釈を加えて活性化させればそれも新しい視点です。また、一斉指導と個に即した指導との調和両立は大切な視点の一つでもあります。新しい視点による指導や学習によって、子どもたちが一層生き生きするように努めてきた二学期でした。

 夏の暑さから冬の寒さまでの二学期の季節の変化は、子どもの心の在りように微妙な影響を与え、多彩な行事や学習と相まって進学・就職などへの心構えも引き締まり、子どもの諸活動は一段と活発になったように見受けました。これらの中からいくつかにフォーカスをしぼって二学期の一面を拾い出してみましょう。

 幼稚園児と中学生との交流は今までも試みましたが、九月の親子遠足では中3生徒が年長児の母親役をするということがあり、ここで得られた成果は、園児だけでなく生徒にも予想外に大きなものがありました。

 小学校体育祭・中学校スポーツ大会や高等専修学校球技大会では、子どもたちによる手伝いや活動の範囲が今年はさらに広くなりました。上級校になるほど主体性を発揮していることは頼もしい限りです。

 小・中で特に感じたことは、混合・交流の種目が増え競技内容に工夫が見られたことです。小学校では混合競技という言葉が日常語化していました。家庭よりの感想文も多く寄せられ、ある生徒の作文には「東中学ならでは」と混合の雰囲気について記されていました。体育行事後の学校生活で、混合・交流が自然な形で一層増えたことは嬉しいことです。このように一つの指導が生活全般に広がり、幼小中一貫の段階的積み上げが実って、交流や混合という言葉を必要としない完全混合の高等専修学校に繋がっていくことを私たちはねがっています。

 学園創立三十六周年記念式典では、子どもたちよりお祝いや決意の言葉が述べられました。後援会の皆様の協力のおかげの学園祭では、子どもたちは実に楽しく一日を過ごすことができ感謝しております。学習発表や展示などに表れている日頃の頑張りがあるからこそお祭り気分になって楽しめるのだとつくづく思った次第です。

 

 この二学期とともに二十世紀は閉じ、年があければ二十一世紀です。私たちは百年単位よりも一年単位や学期ごとの単位で反省し、次の学期や新しい年度に、この教育を精力的に続けたいと考えています。

 

学園総合

創立36周年 学園祭

 今年は学園の創立36周年を迎え、11月11日は記念式典、12日には各園校での催しがにぎやかに行われました。
 幼稚園、年長児の展示テーマは「不思議な世界」、そして園児は「ロバの音楽座」による演奏を楽しみました。小学校、中学校では、治療クラスの劇発表があり、今年の成長ぶりを窺わせる立派な出来映えでした。学園祭前には全校の児童、生徒のほか当日模擬店のお手伝いでご覧になれない保護者の方にもご覧いただき好評でした。高等専修学校は生徒企画の前夜祭で大いに楽しみ、当日は接待役としての役割を果たしました。外部からのお客様や卒業生を大勢迎えて、どの園校も充実した学園祭となりました。

 

創立36周年記念 保護者OBに聞く

『子どもと親と東学園』

 学園祭の折りに保護者OBである岩崎敦子さんに、昭和5460年頃の北原キヨ先生のお話や親としてお考えになったことを伺う機会がありましたのでその内容をここに掲載いたします。
 岩崎さんは、3人のお子さんを東学園にお預けになり、平成6年までの
15年間、学園の保護者でいらっしゃいました。また一方では北原キヨ先生からの依頼で英文の文書作成やアメリカでの会議へ随行するなど、キヨ先生の近くで仕事をされた経験もお持ちです。

 岩崎さんと東学園との出会いは、いつごろでしょうか?

岩崎 昭和54年6月に自閉症である三女の麻里の幼稚園入園をお願いするために見学会に参加して、初めて北原キヨ先生におめにかかりました。その年は待望の小学校が開校して2年目、また自閉児のための第三幼稚園が完成して多数のお子さんを受け入れられた年でした。麻里は4歳11ヶ月、年中の年齢でした。

 その時キヨ先生はどんなお話をされていたのでしょうか?

岩崎 北原先生のお話は明確で自信にあふれ、希望に満ちた内容でした。日常生活も難しい我が子を抱え、それまで恥ずかしい辛い思いばかりをしてきた親にとって、初めて出会うことができた力強い救いの言葉でした。「澄んだ目を見てごらんなさい。おたくのお子さんは能力があるのですよ」「お母さん、自信をもってください」「責任をもってお預かりします」などお話を伺いながら「麻里を救ってくださるのはこの方しかない」と信じる気持ちがどんどんふくらんでいきました。入園の許可をいただいた時の感謝の気持ちが、現在に至るまで私達家族にとってすべての原点となっています。

 東幼稚園に入園してからの麻里さんはいかがでしたか?

岩崎 当時の麻里は母親から一時も離れられない状態でした。右の指を2本しゃぶって左手でスヌーピーのぬいぐるみを抱え、気に入らないとその場でひっくり返って大泣きするパニックを起こしました。ですから一日目にスヌーピーを取られ、私から離されて大パニックの麻里でしたが先生は実に冷静に園舎の奥に連れていかれました。二日目には驚いたことに自分からスヌーピーを私に渡して園舎に入っていくではありませんか。一週間も経つと自分でセーラー服の前を留めようとしました。毎日驚きと感激の連続でした。そして忘れもしません。入園して1ヶ月半後の8月5日、嫌いなマラソンを泣き泣き終えて二人でベッドに転がっていると、「おかあさん!」と呼ぶ声が聞こえたのです。そこには私の他には麻里しかいません。「麻里!今、おかあさんって言ったのね。おかあさんって呼んでくれたのね。」と麻里を抱きしめて、私はおいおい泣いてしまいました。

 その後の麻里さんの成長ぶりはいかがでしたか?

岩崎 麻里は身辺自立や生活面は最初の壁を乗り越えた後は割に楽に身についていきましたが、学習面の成長は遅々として進まずという感じでした。10までの足し算を半年は繰り返しました。お友達は先に進んで九九なのに家ではまだ足し算をやっており、優に千回は繰り返したでしょう。でも後に就職してから会社で二千円渡されて昼食の買い物を頼まれ、三人分のお弁当とたこ焼きとケーキをみつくろっておつりを18円持ち帰ったと伺った時には、あの時の苦労が実ったと感動したものです。

 ご家庭における親御さんの子どもへの関わり方で、心がけられたことは?

岩崎 子どもの成長で10が到達点だとすると、先生の役割は最初の方向を示す2か3までで、その上に子ども自身の能力がいくつかあり、それを10まで伸ばすのは親の役割だと考えています。ですから習得させようとしていることを、親がまずやり方を覚えて一緒にやるようにしていました。先生に途中のチェックをしていただき、親と先生が同じ線上で協調しながら努力することが、子どもにとってはわかりやすいのではないでしょうか。家庭の、特に母親には自分の子どもに対する固有の「感度」というものがあると思います。親と子に共通して内在するものを感じつつ、子どものレベルを手探りで探せるのは自分しかいないと思いました。例えて言うと、子どもの指にささったトゲをぬくのに大病院にいく人はいない、親が子どもの様子を見ながらやってあげるのが一番ということです。先生の指導に頼っているばかりでは現在の麻里はなかったと思います。しかし次は何をしましょうという課題が与えられるだけでも、親にとってはありがたいということを卒業してから実感しています。

 在学中に印象に残っている出来事は?

岩崎 実は麻里が特別指導クラス4年の11月に大脱走をしたことがあります。土曜日にお弁当を食べて課外ピアノを受けてから帰宅するはずが、暗くなっても戻りませんでした。キヨ先生は先生方を総動員して探してくださったのですが見つからず、結局夜の10時過ぎに千葉県の成東の警察から保護しているとの連絡が入りました。後で調べてみると、週末に電車の切符の買い方を教えたのが引き金になって、自分の意思でその朝お金を持って登校し、下校の足で駅に直行したらしいとわかりました。この事件でのキヨ先生の麻里に対する判断は驚くべきものでした。つまり、これは麻里の目が外に向いてきたという成長の証である。体験を活かして自分で行動ができるようになってきたのだから、もっと刺激を与えるために健常児のクラスにいれましょう、と。そして学校中の先生方からご注意をうけて登校を渋っていた麻里をほめて救ってくださったのです。また学校での多彩な体験は本当にありがたいものでした。旅行のマナー、水泳やスキーなどの運動、音楽、美術館巡りなど現在の麻里の余暇の楽しみはすべて学校で基礎が作られました。家庭でもそういう体験を積ませようと心がけたお陰で、今では家族全員がその恩恵に浴しています。

 健常児である上のお子さんも東学園に入学させた理由は?

岩崎 自閉児の教育における細かい配慮が健常児の教育にも自然に反映していると思い入学させました。かたや娘たちはといえば、自分の妹以外にも自閉のお友達と一緒に生活して、面倒見の良いやさしい性格に育っていく様子が窺えました。それに東は子どもにとって楽しい学校ですから、中学校進学は次女本人の強い希望でした。キヨ先生は子どもの成長や心持ちをご自身の頭と心の両方で理解されていました。そして学力ばかりでなく体力づくりも心の教育にも力を注がれました。「子どもは遊びながら学び、学びながら遊ぶ」とおっしゃって、先生自身は楽しみをより多く与えるのがお好きでした。キヨ先生は師弟愛というより親の愛で学園の子どもたちに接しておられました。その特質はキヨ先生が亡くなられてからも東の伝統として脈々と続いていると思います。

 上の娘たちもいろいろな体験をしたことが糧になり成長してからの開花につながっています。今自信をもっていることや続けていることは、すべて東にいる時に芽が出たものです。それと卒業してわかったことですが、他の学校では所属するクラスや部活、担任の先生などに自分の拠り所があるのに対し、東は学校全部が自分の居場所であり、全部の先生が自分のことを知っているということ、これは他では見られないことです。

 三人のお子さんの近況を教えてください。

岩崎 長女は大学を出てから3年間銀行に勤めた後、長年の夢であったアメリカ(ボストン)留学を果たしやはり留学生だった人と結婚してアメリカに住んでいます。次女は大学卒業後就職して結婚、一女の母となって麻里の小さなお母さん役だった経験を生かして育児を楽しんでいます。三女の麻里は高等専修学校卒業後、学校の紹介で手芸を扱う会社に就職して7年目になります。数人の社員の補助的な仕事をしていますが、手先の器用さを生かし、気配りも利かせて役にたっているそうです。自閉児は年長になってからも知的な刺激を与え続けることがとても大事だと実感しています。麻里は26歳になった現在でも成長を続けています。

 

 現在の学園の保護者の方々にお伝えしたいことがありましたら、お願いします。

岩崎 三人の娘の教育を東学園に託したことを今振り返ってみて、正しい判断だったと信じられることは誠に幸せです。「学園ですべての教育を行います」とのキヨ先生にお任せして姉たちは塾にも通いませんでした。親が先生方を信頼している様子は娘たちにも良い影響を与えたと思います。東の生活は娘たちの心を豊かにし、安定した人格に育ちました。偉そうで言いにくいのですが、敢えて老婆心よりお伝えしたいことがあります。保護者の方々には、親が東学園の教育を良いものと認めて、我が子のために選んだのだという誇りと自負をもっていて頂きたいものです。教育は一朝一夕で結果が出るものではないことを認識して、長い視点と幅広い視野で見守る姿勢が大切です。親には、将来に繋がる展望を持って、教育の効果を忍耐強く待つ態度が望まれます。日常的に生じる疑問や質問は、教師と親の間でよく話し合って解決していけばよいことです。その時に両者に求められる姿勢は、子どものために一番良い結論を導くための協力者であるとお互いを信頼しあうことです。相手を言い負かす討論では道は開けません。子育ての最終責任は親が負うべきもの。その覚悟の上で、良いと判断した教育を選び、選んだからにはその教育を信じ先生を信頼して任せる度量が必要でしょう。なんといっても子どもは親の態度をよく見ています。親の気持ちがフラフラ揺れ動いていたら子どもは不安になり集中できません。そういう状態では教育の効果は上がらないものです。キヨ先生がよくおっしゃっていらした言葉は「学園を信じて、お任せください」でした。そして亡くなられる前日の母親研修会で述べられた最後のお言葉は「お母さん方、私を信じてあなたのお子さんを任せてくださってどうもありがとう」でした。

 最後に自閉児の親御さんに申し上げたいことがあります。麻里が社会人になった後最近になって、私は自閉症教育のあれこれを勉強し始めました。そして日本の自閉症教育の現状を知る機会が多くなっていますが、今更ながら、麻里が東幼稚園に入園できた幸運を感謝し、更にさまざまな理由から入学したくてもできないでいるお子さん方のことも忘れてはいけないと思えてなりません。東学園も完全無欠であるとは思っていません。しかしこれ以上のものが存在していないのが現実です。他に部分的に効果をあげている機関もありましょう。しかし、キヨ先生は自閉児に学校という形で教育の場を与えてくださいました。武蔵野東学園は教育内容も制度としても名実伴った自閉児のための学校なのです。高等専修学校まで在学した麻里は、高校卒同等という資格を得て社会に出ていくことができました。それこそがキヨ先生が心を砕き身を挺してまで作り上げてくださった賜物なのです。

 ありがとうございました。 

 

インタビューを終えた後、当の麻里さんがバザーでの買い物を終えて入ってきました。きれいな年頃のお嬢さんになり見違えてしまいました。お化粧はもちろん、髪型も様々に自分で結うが、誰かが教えた訳ではないとのこと。確かに生徒として私達が知っていた頃と比べて、さらに自分で自分を前進させる力を身につけた立派な麻里さんがそこにいました。 

 

 

《目次》

教育を考える
-二学期のズームアップ-
学園長 野田 彰

【学園総合】

創立36周年学園祭

創立36周年記念 
保護者OBに聞く

『子どもと親と東学園』
岩崎敦子さん

 

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