|
故 野田 彰先生 |
前学園長の野田彰先生は昨年12月31日永眠されました。新校舎、体育館の竣工直前のことで、安部前理事長といい、顧問弁護士の植松先生といい、落成を人一倍喜んでいただけたはずの三人の功労者を、学園は昨年一気に失ってしまいました。残念でなりません。
しかしこのお三方は、もうこれで東学園は大丈夫だ、後は君たちの努力次第、それを天国から見守っているからね、こうおっしゃっているような気がします。野田先生の生前の学園に対する多大のご貢献を思い起こしつつ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
野田先生が副学園長として学園に着任されたのは、北原キヨ先生のお誘いを受け、私の2人の娘が学園に入園したちょうどその頃でした。ですから先生とは20年に及ぶお付き合いということになります。すらりと背が高くいつもダンディないでたちで、いつもにこやかで笑顔を絶やさず、言葉を交わすたびに写真の話が出るほどカメラ好きの先生でした。先生はご自身で撮られた写真をしばしば私に下さいました。キヨ先生の信任も厚く、キヨ先生亡き後の学園の教育現場の精神的支柱として長年ご活躍されました。
私が理事長に就任した時のことです。先生は私にこんな話をされました。
「教師たちがどうしても言う事を聞かなかった時には寺田さん、口に手を突っ込んで奥歯をがたがたさせてやればよいですよ」
教師らしからぬこの言葉を、私はこう理解します。先生は長い教師歴の中でご自身の教育に対する強い信念をもたれていた。しかし自分の考えを若い教師たちに押し付けてはならない。彼らが少しくらい間違いを起こしたとしても、自分自身の創意工夫をこらして、正しい教育を実践していれば、それを黙ってじっと見守っていてください。どうしても許せない行動が見えたときにのみ、それをたしなめ、また毅然とした対応をしてくださいと。
このお言葉に限らず、野田先生のユーモア溢れるお話にはいつも感心したものでした。先生が最後に公の場で話されたのは、おそらく昨年の夏ウルグアイに行かれていた三枝先生が帰国され、同窓会の松井さんの肝いりで帰国歓迎会が開かれた時だったと思います。少々長口説ではありましたが先生は満座を笑いの渦に巻き込む、洒脱なおしゃべりを続けました。横におられた奥様が先生の服の袖を引っ張り「あなた、いい加減になさい」とたしなめられたのですが、先生はそれを受け「家内から叱られましたので、そろそろお話をやめます。私の家内はおっかないのです」と結ばれ、またまた大爆笑となりました。
それから間もなく先生が入院されたと言うことを聞き、奥様にお見舞いに行きたいと申し上げたのですが、どうかそっとしておいてくださいとのことでした。脳梗塞を発病された由、後遺症が残り人との会話がご不便になられたからのようです。それから脳梗塞を再発され、それが最後となったと伺っています。結局私は、去年の夏を最後に生前の先生には会えずじまいのまま、次にお顔を拝見したのは出棺直前に花をささげたその時でした。
ご遺族のご意向は学園の手を患わせたくないから簡素な葬儀にしたいとのことで、学園としても十分なお手伝いも出来ませんでした。しかしお通夜、葬儀に参列する人々が長蛇の列をつくり、ご焼香はいつ果てるともなく続きました。改めて先生のご人徳が偲ばれました。先生、後は私たちが頑張ります。どうか安心して安らかにお休みください。
理事長 寺田欣司
次のページへ
|